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修学院離宮
竹田直人
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2001年5月19日に当社スタッフ3名にて見学した修学院離宮のレポートを竹田直人が報告いたします。 |
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浴龍池にかかる千歳橋(ブルーノ・タウト設計)と比叡山から続く東山の柔らかな山並
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修学院離宮とは
平安時代に僧勝算の営んだ寺(修学院)の跡で、のち後水尾上皇が別荘として造営し、1659年完成。
退位してから後水尾院は、1641年から離宮の候補地の選定を始めました。その間、今の円通寺の場所などを、比叡山の借景の見事さなどから気に入っていたようですが、水が無いという致命的な欠陥の為に断念し、修学院離宮の場所に決定する迄、実に14年の歳月を要しました。
そしてその造営の資金は、後水尾院の機嫌を取る為に徳川幕府が出したそうです。
この庭の特徴は、14年の歳月をかけただけあって、その雄大・優美な借景、スケールの大きさにあります。
その一方、二条城二の丸庭園の様な派手さはなく、後水尾院の趣味の良さを表すかのように、非常に品のある空間となっています。

修学院離宮は、上の御茶屋・中の御茶屋・下の御茶屋と、3つのゾーンによって構成されています。その中でも圧巻は上の御茶屋です。
隣雲亭(りんうんてい)と名付けられた離宮最上部から見る景色は、そのスケールの大きさ、美しさは、その地を訪れた者にしか味わえないと言えるでしょう。
とても写真などで伝えられるものではありませんが、ご参考にどうぞ。
まさしく日本の宝、人類の宝です
手前に大きく横たわるのは浴龍池。まさに龍が水浴びをするのに相応しい広く、大らかな池です。
その奥は借景。京都の北、岩倉からさらに北山の山並を、借景庭園とはかくあるべしと言うかのような見事さで、延々と続く奥行きを表現しています。
その景は、14年の歳月を充分納得させるもので、あまりの雄大さ、優美さに心が洗われるような心地すらします。

この浴龍池ですが、広さは約11,500平方メートルあります。池のほとりには、松の他に楓が多く植えられ優しい印象を与えています。私たちが訪れたのは新緑の季節。光り輝く若葉と広がる池、比叡山から連なる東山のなだらかな山並。
始めからそこに自然にあったかのように思わせる風景ですが、実は大土木工事の上に造られたものだそうです。
まずは比叡山の尾根を掘削して浴龍池を造ります。千歳橋のかかる島は、この尾根のもともとの地形をそのまま残したものだそうです。
さて、肝心の水です。既に書きました通り、これが無くって円通寺の場所は離宮とはならなかったのです。まずは比叡山からの伏流水が池に導かれました。

しかしこれだけでは水量が足りません。南に流れる音羽川から水路を引き、池に流しこまれているのです。
そして、池の西側には高さ15mの堤を築き、水をたたえているのです。人工的に造ったダムと言っても良いのですね。
そして、その人工的な部分を自然に見せる為に大刈込など様々な工夫がされ、写真の様な風景が作り出されているんですね。
後水尾院の情熱が伝わってくるようです。

離宮内には田園風景もあり、実際に今も地元の農家の手によって作物が作られています。
ここが、他と異なっている素晴らしいところは、上の写真の様な田園風景をそのまま離宮の景色として取り込んでいるところです。美しい田園。日本の原風景を見ているかのようです。
離宮が作られた当初は、中の茶屋は無く、今上の茶屋へのアプローチで使われているまっすぐの道は無く、後水尾院は上の茶屋のあの広壮な風景に至るまで、田んぼのあぜ道を歩いて行かれたそうです。
おそらくこの田園風景を感じ、心穏やかにしながら上の茶屋に思いを馳せたのではないでしょうか。
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修学院離宮全景 |
5月19日、天気 晴れ。宮内庁の許可を得た私たちは、修学院離宮の参観に行ってまいりました。
修学院離宮は一般公開されていません。京都御所、仙洞御所、桂離宮などと同様、宮内庁により管理されています。
これらの施設に入るには、事前に宮内庁に参観申し込み手続きをする必要があります。
気軽に入れないのは残念ですが、大勢の人が押し掛け、樹木の根を踏み付けて枯らしてしまったり、建物が荒れたり、保存状況の悪化を防ぐ為には仕方ない処置だと思います。
参観は、一日数グループに分けて、ガイド付きで行われます。
許可を得た30人ほどが1集団となり、係官により案内して貰えるのですが、最後尾には皇宮警察官が監視しており、少々緊張気味で参観。所要約1時間20分前後。
(アクセス)
住所 京都市左京区修学院薮町
交通 市バス 5番 31番 35番 叡山電鉄「修学院離宮道」下車 徒歩約20分
みなさんもぜひお立ち寄りください。
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土間の埋め込みのデザイン |

縁側の手水部分
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